まとまりのない二次創作ブログ。日常と映画感想が最近のメイン。サイトの更新情報とゲームプレイ記もたまに。
自分でつけておきながらカテゴリタグこれで合ってるのか?
観よう観ようと思いつつ時間が合わずもう8月になりました。
夏休みで、近い映画館の座席がかなり埋まっていたのもあります。それだけ人気でもあるのだろうなと。
観てよかったし、懸念していた仕事上がりの三時間が、全く長く感じなくて。
ほんとうにすごかった。
なんらネガティブな意味はないのですけれど、全国的に人気で、評判がよく、観られていると日夜ニュースで聞き及んでおり、実際に自分も観て、これをたくさんの人が観て良かったと話していることがすごくすごくうれしいと感じました。
この三時間は濃密で、つらくくるしく、せつなかった。
生身の人間がこれをやったということが絶対に希望に思える。俳優が歌舞伎役者を演ること、生半可ではない。どれだけ稽古があったのだろう。
好きなシーンがたくさんある。
・春坊最後の舞台で裏から見ているシーンの舞台装置。窓がある!あれは実際のセットもそうなのだろうな。
・川原でいい感じの棒を手に入れた高校生がすることが、フリの練習。お稽古前の自主稽古。ふたりだからできる……毎日がたのしいね……。
・萬菊さんから扇子を受け取るゆびさきのうやうやしさ。
・曽根崎心中に重なる逃避行。うっすらと聞こえてたのは壇ノ浦の身投げのところ。この、演出のうまさ。
・瞳の、息遣いの、指先の、足運びの、芝居のすべて。
・人間国宝になったインタビューの受け答えが、最初の舞台を終えた高校生の頃と、ちっとも変わらず愛嬌のないところ。けれど挨拶のひとつもできなかった子供が、襲名の時にはお待たせいたしましたと頭を下げて回る、そのギャップ。
・身支度のときの「はい」
あとおかみさんの、質感がすごかったな……わかる、すごく、おうちのなかでの母親と、他所に向けての丹波屋のおかみさんのふるまいと。全部本当だけどちがうんだ。
稽古する姿を指して真綿が水を吸うようと表現して、跡取り息子よりも芸が勝っていると評価して、でもあなたは汚いと、そう罵ること。
夫婦がほんとうに春坊をだいじに思っていることが辛かった。菊は春坊の励みになる相方で、彼を見て学ばせたくて、後を継いでほしくて、今際の際に手を握って欲しかった。
ずっと寄り添った菊じゃなくて血を分けた唯一の息子がここにいてほしかった。
なんて絶望。
あのとき本当に悪魔に祈ったのか、と、ずっと疑問でいる。他に何もいらないと。
はっきり語られない余白を、けれどきちんと、そうなのだろうなと飲ませる力があると思った。芸妓の彼女はどうしているかとか。「しくじった」時にいっしょにいた彼のことだとか。
伝統芸能をなにかやっていたとかではないのですが、骨で覚えるとか、芸が助けるとか、お作法、今から楽をすることを覚えるな、お初として生きたことがないから演れないのだとか、そういう諸々に自分の幼少期の習い事を、家庭を、思い出していました。身に覚えが。あり。
でも全て嫌な記憶だったかというとそうではなく、すべてが私を構築し、だから今があるだとおもっている。
なんだろう。いい創作物をみるといつも思ってしまう。
いますごく絵を描きたいです。
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